ベネズエラ情勢と歴史的背景
ベネズエラ情勢が緊迫するなかで、日本の研究者・ジャーナリスト等からなる有識者が日本記者クラブで会見し、ベネズエラ情勢に関する緊急声明を発表しました。「ベネズエラのための緊急声明2019」というホームページを立ち上げ賛同署名を募り、駐日ベネズエラ大使館に届けるということです。
「ベネズエラ情勢に関する有識者の緊急声明~国際社会に主権と国際規範の尊重を求める」2019.2.21 東京http://for-venezuela-2019-jp.strikingly.com/
「…すでに干渉によって進められた国内分裂を口実に、一国の政権の転覆が目論まれているということではないのか。米国が主張する「人道支援」は前世紀末のコソボ紛争以来、軍事介入の露払いとなってきた。イラクやその後のシリアへの軍事介入も、結局は中東の広範な地域を無秩序の混迷に陥れ、地域の人びとの生活基盤を根こそぎ奪うことになり、今日の「難民問題」の主要な原因ともなってきた。
「民主化」や「人道支援」の名の下での主権侵害が、ベネズエラの社会的亀裂を助長し増幅している。それは明らかに国際法違反であり国連憲章にも背馳している。ベネズエラへの「支援」は同国の自立を支える方向でなされるべきである。…」
賛同署名➡ http://for-venezuela-2019-jp.strikingly.com/
新自由主義に対抗 反米の牙城となったベネズエラ 歴史的背景を見る
2019.2.14 https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/10894
ベネズエラを含むラテンアメリカは、16世紀にスペインやポルトガルによって征服され、カリブ海では先住民がほぼ全滅して、それに代わる労働力としてアフリカから黒人奴隷が連れてこられた歴史がある。19世紀以降はアメリカが米墨戦争でメキシコの半分を、米西戦争でキューバとプエルトリコを奪いとり、その後も軍事介入をくり返して「アメリカの裏庭」にしてきた。
さらに1950年代からは、そのアメリカが世界最初の新自由主義の実験場にしようと策動してきた地域である。…70年代にはチリに続いてアルゼンチン、ウルグアイ、ブラジルにもアメリカの支援を受けた軍事政権が成立し、新自由主義の実験場となった。アルゼンチンで軍事政権がまずおこなったのは、ストライキの禁止と雇用主に労働者を自由に解雇できる権利を与えることだった。多国籍企業を歓迎するために外資の出資制限も撤廃し、何百社もの国営企業を売却した。
これらの軍事政権が民衆の反抗を押さえつけるために共通してとったのが、反体制派を拉致して「行方不明」にするやり方で、その背後ではCIAが暗躍していた。アルゼンチンの軍事政権下で行方不明になった人は3万人にのぼり、そのうち8割以上が16~18歳の若者だったといわれる。(…)
ここでIMF(国際通貨基金)や世界銀行がラテンアメリカ諸国に押しつけたのが、構造調整計画と呼ばれる新自由主義政策だった。それは債務返済を最優先にさせるため、国内産業保護、外資の規制、社会福祉政策などを撤廃させ、規制緩和、自由化、民営化を各国に強制した。公務員の削減や社会保障支出の削減、増税や公共料金引き上げがおこなわれた。公共企業の民営化・外資への売却や貿易の自由化が進められた。その結果、80年代にはほとんどの国で経済成長がマイナスになり、国民経済は破壊された。(セワヤキ: これって、いま日本がやらされていることじゃないの!)
(…)こうして新自由主義に反対するたたかいがラテンアメリカ全域に広がるなかで、1999年2月のベネズエラを皮切りに、2003年にブラジル、エクアドル、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビアで、2004年にはウルグアイで、新自由主義と米州自由貿易圏を支持する親米政府があいついで打倒され、反米左翼政府が誕生した。
なかでもラテンアメリカにおける新自由主義反対のシンボル的な存在になったのが、1998年の大統領選で、40年続いた二大政党制を打ち破って誕生したベネズエラのチャベス政府である。
チャベスは、腐敗した寡頭支配層を批判して、これまで政治から疎外されてきた大衆の政治参加を訴え、またアメリカの支配からの独立、新自由主義反対、富の平等な分配と貧困の撲滅を訴えて、広範な大衆の支持を獲得して大統領に当選した。チャベスはこの変革をスペインの植民地支配からのラテンアメリカの独立を訴えたシモン・ボリバルの名を冠して「ボリバル革命」と呼んだ。
チャベスは大統領に就任すると、国民投票で憲法制定会議を設立し、ボリバル革命を掲げた新憲法を制定した。それによって政策決定の過程に国民が直接参加できるようになり、議員のリコール制が導入された。大企業や大地主の農地が農民に分配され、国民には食料、教育、医療、職業が保障された。石油資源は国家の管理下におかれ、領土内に外国軍隊が入ることは禁止された。(…)
戦後、アメリカは主権を持つ独立国の内政に干渉し、カネと軍事力で政府を転覆させ、新自由主義政策を押しつけるというやり方をくり返してきたが、それはことごとく失敗している。独立と民主主義を求める人人のたたかいに、さまざまな紆余曲折は避けられないが、そのたびに力を増していくことを押しとどめることはできない。