「CO2ニュートラル」という神話 Ⅱ エクアドルの新憲法は世界で初めて『自然の権利』を規定した
♣銅鉱山の開発に反対するエクアドルの人々 カルロス・ソリージャ氏の報告 2021.02.10 https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/20217
再エネの技術や電気自動車の技術への移行は、銅なしには進まない。 採掘の方法がより大規模な露天掘りへ、破壊的な方向へと進んでいるエクアドルのインタグ地方では、2万人弱の人たちが農業を主体に、70数カ所のコミュニティをつくって暮らしている。ここは雲霧林と呼ばれる世界的に希少な森林生態系が広がる場所で、霧が発生しやすく湿度が高く維持されており、ラン科の植物やコケ類が発達し、通常の熱帯雨林よりさらに生物多様性が高い。水資源の維持という点で貴重な森だ。
開発の波との戦い
最初は1990年代、日本政府とエクアドル政府の合意のもと、JICAが出資して三菱系のビシメタルがプロジェクトに携わった。しかし環境影響評価をへて試掘を始めるなか、森林伐採による水質汚染が起こり、人間が皮膚炎になったり家畜が死亡したりする被害が出て、これに危機感を持った地域住民が1995年にDECOIN(インタグの自然を防衛・保全する会)をつくったことが抵抗運動の発端となった。日本主導のプロジェクトは1998年に撤退した。
次には2004年にカナダのアセンダント・カッパー社が参入し、民兵が住民に催涙ガスを噴射したり発砲したりし、リーダーが脅迫を受けることも起こった。これに対して政府が採掘権を剥奪し、同社の活動はここで頓挫した。さらにDECOINは同社とトロントの証券取引所を相手どってカナダで訴訟を起こし、その結果同社は上場廃止に追い込まれ、2010年には完全に撤退した。
3回目である現在は、エクアドル政府自体が開発に乗り出している。コレア政権下のことで、反対運動のリーダーだったフニン村村長ハビエル・ラミーレス氏が「反逆、破壊行為およびテロリズム」という容疑で不当逮捕(現場にいなかった)され、10カ月間勾留された。国際的な釈放を求める運動の効果もあり、2015年2月には釈放された。ところが彼が不在の2014年5月、武装警官約400人をともなってやってきた鉱山開発公社が強引に環境影響評価をおこない、2カ月ほどで承認された。
DECOIN(インタグの自然を防衛・保全する会)創設者ソリージャ氏の報告
「私はエクアドルに過去42年間暮らし、1995年にDECOINが設立されて以来26年間、鉱山開発に抵抗する運動に携わってきた。DECOINの活動は、環境保全、生物多様性保全、水源保護などに広がってきた。これまでの成果として、38のコミュニティに水源保護のための保護区を設置し、これによって1万2000㌶の保護林を設置することができた。この森は非常に生物多様性の高い貴重な場所だ。
鉱山会社がやってくる以前は、インタグは非常に穏やかで連帯感の強いコミュニティだった。 人々はコミュニティや家族を大事にすることが第一だったが、鉱山開発が始まり、鉱山会社がお金をばらまくようになって、対象地域の人々は個人主義に染まり、自分の損得を優先するようになってしまった。お金を大事にする人たちと、コミュニティの穏やかな暮らし、健全な環境、自然保護を大事にする人々との間の分断、対立が起こっているということだ。
2008年に制定されたエクアドルの新憲法は、世界で初めて『自然の権利』を規定した。『自然すなわち母なる大地は、生命が再生され生み出される場であり、その生存、およびその生命サイクル、構造、機能と創成プロセスの維持と再生を総合的に尊重される権利を有する』(第71条)、『国家は、種の絶滅や生態系の破壊あるいは自然のサイクルの恒常的改編につながりうる諸活動を予防かつ制限する処置を講ずる』(第73条)と規定している。この『自然の権利』は、人間に利益をもたらすかどうかとは関係なく認められている。
そこから私たちは、生態系を原告にする訴訟のチャンスがあるのではないかと考えた。私たちは2種類の絶滅危惧種のカエルに注目したが、フニン村の森に生息する何百もの他の絶滅危惧種を含めたものとして訴訟に踏み切った。下級法廷ではあるが、私たちはこの訴訟に勝つことができた。それは重要な意味を持っている。人間中心主義的な世界観から生命中心の世界観へのシフトだ。」
Q: 「気候変動対策は急がなければならないし、その場所を守るために地球が滅びるような選択をしていいのか」という反論に対して、どう答えるか?
A: 問題の立て方自体が間違っている。採掘された鉱物はどこへ行くのか、誰に利益をもたらすかを考えなければならない。すべての人が電気自動車を持つ必要があるのかというと決してそうではないし、電気自動車にかえれば問題は解決するという考え方自体が人間中心的である。その結果としてもたらされる環境破壊、何千㌶もの広大な森林が失われること、河川が何世紀にもわたって残るような汚染を受けるといった、「自然の権利」から見たコストを考える姿勢を持つべきだ。
結局のところ、気候変動対策のために環境破壊をおし進めてしまうのであれば、最終的には気候変動よりもさらに悪い環境破壊に直面するのではないか。日本のみなさんが住んでいる地域で、草の根的に『自然の権利』にかかわるとりくみをおこなうことを勧めたい。
♣太陽光パネル設置規制する条例が急増 全国で138自治体 生活環境破壊する開発が問題に2021.02.27 https://www.chosyu-journal.jp/shakai/20374
(…)岩手県遠野市は、既存の条例を改正して昨年6月、全国的にも厳しい「1万平方㍍以上の太陽光発電事業は許可しない」という新条例をもうけた。 そのきっかけになったのは2019年4月、市内を流れる一級河川・猿ヶ石川で赤茶色の濁りが確認されたことだ。濁水は山奥の小さな川から流れ込んできており、その小川のそばでは2018年4月、約90万平方㍍の広大な敷地で太陽光発電の建設工事が始まっていた。雑木林を伐採した造成地で土がむき出しになり、雨が降ると泥水が川に流れ込んでいた。(…)