小川淳也衆議院議員の幻の演説2019.3.1
衆院本会議で不信任案の趣旨について、「立憲民主党・無所属フォーラム」の小川淳也衆議院議員が1時間49分の演説を行った際、時間切れで発表できなかったものを小川議員の承諾を得て公開 https://iwj.co.jp/wj/open/archives/444242 以下はその概要
時間切れでしたが最も訴えたかった最終盤 省略(…)及び太字強調はセワヤキの責任
13 自国優先主義
今から3年前、英国国民がEUからの離脱を決断しました。実際には今も、英国は揺れ続けています。しかし、私はまさか、あの時、国民投票で、英国がEUからの離脱を決めるとは、思いもしなかったのです。一体何が起きているのか。その頃から、言い知れぬ不安を感じるようになりました。(…)今から3年前、アメリカ合衆国大統領にトランプ氏が当選したのです。これも驚きました。本当に当選する、とは思っていなかったのです。その後も、欧州を始め、あちこちに乱立する極右政党。自国優先主義の風潮。強権的な政権の乱立。内戦と難民をめぐる混乱。起き続けるテロや紛争。多くの国々で起きている、国民の分断と対立。一体世界はどうなってしまったのか。どうなってしまうのか。どこへ向かうおうとしているのか。正に、世界は危機にある、多くの皆様の認識ではないのでしょうか。
14 グローバル経済と政治の機能不全
あるとき、思いが至りました。今世界は危機にあり、この危機の正体は、成長点の喪失と、再分配の失敗にあると。それをもたらしている、地球環境や資源の制約、そして、技術革新とともに進むグローバル経済、この激変に、世界の政治が対応できず、世界の人々が共通して、苦しんでいると。正に、この原因は、グローバル化した経済と、これを制御できない国際政治のひずみによってもたらされていると。
グローバル企業は、軽々と国境を越え、世界を縦横無尽に駆け巡り、資金と情報を集め、世界から莫大な利益を集めます。しかし、その利益は、税率の低い国々に集められ、極めつけはタックスヘイブンに集約されるのです。従って、その収益は、世界中から集められたにも関わらず、どの国の税収ともならないために、人々のための、適正再分配と、世界における人々の暮らしの安心、安定の礎とならないのです同時に、企業は、常に安い人件費を求めて、世界を駆け巡り、先進国の中間労働者層は、この打撃を一身に受け止めなければならない運命にあります。
また、世界の多くの国々で、同時に、経済の高成長、雇用拡大、賃金上昇という、かつての右肩上がりの「勝利の方程式」が、大なり小なり、崩壊しつつあります。
したがって、今、世界で起きていることは、わずかな成長点を奪い合って、企業が世界を闊歩し、安い労働力で、巨万の富を集中させ、まっとうな税負担を逃れて、さらに増殖する。一方、世界中のふつうの人々の、尊厳に値する雇用、尊厳に値する暮らしの基盤は、根底から脅かされ続けている。そして、その矛盾から、一時的にでも、退避しようと試みた衝動が、反グローバリズムの動きであり、具体的はブレグジットであり、トランプ現象ではないのか、ということです。
この反グローバリズム運動の原動力は、グローバル経済の最大の被害者である、先進国中間労働者層であり、その怒りと不満が、米国や欧州を突き動かしていると。別の言い方をすれば、この動きは、世界に拡大した経済のサイズを、国内の政治のサイズに引き戻そうとする運動、一時的に経済と政治のサイズを一致させ、安定と安寧を取り戻そうとする運動、と私には見えるのです。
しかし、この延長線上にある保護主義や、自国優先主義は、今後、世界にとって、真の解になるでしょうか。私にはそうは思えません。やがて、世界経済の収縮という形で、互いに自らの首を絞めることになるでしょう。
しかし、だからと言って、今のままの、自由放任の、グローバル経済、自由放任の自由貿易体制もまた、今後の世界にとっての解になり得るのでしょうか。私にはそうも思えないのです。
政治の正しい介入なき経済は、正に猛獣です。
富の偏在と格差を欲望に従って拡大させ、その偏在と格差が、許容限度を超えたときには、まさに歴史が証明するとおり、戦争や革命といった暴力的手段によって、力ずくで偏在を解消せざるを得ない。これが真実ではないでしょうか。これこそ、今の日本を含めた世界を覆う、危機の正体であり、今後、世界は共通して、この問題の出口を探さなければならないのです。私には思えます。むしろ真の解は、今起きているような、経済のサイズを、政治のサイズに引き戻す運動でなく、はたまた、今のままの自由放任のグローバル経済の放置でもない。
正に、第三の道。困難は承知の上で、あえて申し上げます。政治のサイズを、グローバル化した経済にふさわしいものへと、拡張することではないかと。政治のサイズと、経済のサイズが合わないことによる、機能不全を正して、初めて、世界は安定し、人々の暮らしは満たされるのだと。グローバルな企業に対して、グローバルに適正課税を実行し、そして、世界的に、グローバルな視点から、適正再分配を実現する。これに勝る、経済政策、財政政策、社会政策、そして安全保障政策はないのではないかと。もちろん、日本だけで取り組める課題ではとてもありません。しかし、日本が、そのようなビジョンを示すことができれば、そして、世界に構想を打ち出すことができれば、世界にとって大きな価値なのではないでしょうか。
日本は、和を尊しとし、また、良くも悪くも、同調圧力の強い国柄です。これはどこから来るのか、考えたことがあります。もしかしたら、これは、有限な日本列島における、有限な平野で、身を寄せ合い、肩を寄せ合って生きる、我々日本人の歴史的な知恵なのかもしれないと。周囲と調和しつつ生きることを重んじた、日本人は、周囲と調和する以外に、この狭い日本列島で、狭い平野で、共存する、すべを持たなかったのかもしれないと。
そして、今正に、世界は初めて、自らの有限性を意識し始めた時代です。地球環境においても、資源制約にしても、また人口増大においても、世界は正に、その有限性を意識せずして、経済も暮らしも成り立たない時代の、入り口に初めて立っているのです。そこにこそ、日本のありようが、これからの世界にとって、重要なヒントになる可能性を秘めていると感じるのです。
15 持続可能な未来へ
(…)この激変の時代、世界の最先端にある日本が、世界に先駆けて、正しく、変貌をとげることができれば、日本は世界に冠たる国となり、その姿は、世界にとっての光、世界にとっての希望となるのです。そのためには、まず我々がしなければならないことは、これが最も困難なことですが、長い間、頭の中を支配し続けた、成長信仰に、疑問を投げることから始めなければならないのかもしれません。この成長信仰への、郷愁と、惜別には、ぬぐいがたいものがあります。しかし、GDPが数%増えた、減ったと、各国が一喜一憂し始めたのは、1990年代です。わずか30年の歴史です。人類の歴史のほとんどは、GDP統計すら存在しなかった歳月ということになります。
いずれにしても、これからの日本、そして、世界の経済は、ただ、増えれば良い、成長すれば良い、という単純な構図ではなく、様々なエネルギー消費や資源制約、地球環境との均衡を保つ、正に、持続可能な均衡ある成長、そして経済でなければなりません。そして現在のグローバル経済にふさわしい、グローバルな政治的能力を開発し、まずは例えば、世界で法人税率を統合するなど、世界的な新しいガバナンスを提唱し、世界的な適正再分配を論じるほどの、日本は高みを見据えた国でなければならないのです。
同時に、現在の社会制度は、いまだに、基本的に、成長経済と、拡大する雇用、そして上昇する賃金によって、自己責任で、賄われることが前提となっています。これを大胆に切り替えることが必要です。成長に依存してきた社会構造を大胆に見なおし、十分な領域まで、ナショナルミニマムを底上げし、雇用拡大や賃金上昇に依存せずとも実現する、新たな再分配システムを確立し、そして、世代を超えて、持続可能な社会保障制度を実現する。こうした課題に、総合的に取り組み、立て直していかなければならないのです。
持続可能な均衡経済、国際社会で通用する適正課税、そして適正再分配、成長や雇用拡大にかならずしも依存しない、新たな経済・社会システム、そして、世代を超えて持続可能な、超長寿社会にふさわしい社会保障制度。これらを手にした日本が、世界のお手本として、敢然と輝かなければならないのです。
16 国民を信じる
根本大臣、そのときに一体、私たちに何が求められるのでしょうか。単なる成長の掛け声や、デフレ脱却の掛け声だけでは、いかんともしがたいのです。むしろ、本格的に、構造問題に目を向け、現実を直視するところから始めなければならないでしょう。それは、国民に対して、不都合な現実を、全力を挙げて説明し、説得する過程を含みます。そして、それでも納得を得られるだけの、政治の信頼を醸成しなければならないのです。
当然、痛みを分かち合う負担の議論も避けて通れません。むしろ、これをいとわず、積極的に、前向きに行っていかなければなりません。しかし、大切なことは、その議論の先に、どのような社会が待っているのか、どのような人生設計で、子や孫の代を含め安心して成り立つのか、その明確なビジョンと構想を伴うことです。
これには、一体何が必要か。私は、政治家の見識と覚悟だと思います。国民に不都合な事情を説明する勇気があるか、真剣に対話を進める決意があるか、そしてそれでも信頼される自信があるか、我々政治家の側の覚悟が求められているのです。そして、それは、何によって実現可能となるのか。ひとえに、我々自身が、本気で国民を信用できるか、国民を信じきれるか、その一点にかかっている、そう思うのです。
国民は何を求めているのか。口に甘い話か、いっときの耳障りの良い見通しか、それとも、真に乗り越えるべき切迫した課題か、それを乗り越える知恵と勇気か、そして、ともに乗り越える気概と真摯さか。政治家は、国民から信用されていません。しかし、もしかしたら、政治家もまた、国民を信用していないのかもしれません。そして、国民を信用しない政治家を、国民が信用することはありません。この悪循環をこそ断ち切らなければならないのです。
歴史的、世界的に、余りにも大きな転換点にあって、皆様とともに、今、国会に席を預かる栄誉と、また是非共にしたい歴史観、使命感、そして、それを共有できる可能性に、心から、敬意と感謝を申し上げて、趣旨弁明を終わります。
皆様、ご清聴誠にありがとうございました。
※ 2019.3.1本会議での小川氏の1時間49分間に及ぶ国会での趣旨弁明演説
必見➡http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=48690&media_type=
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