今からでも遅くない! 76周年敗戦記念日に「村山談話」を読もう!
1995.08.15、当時の自民・社会・さきがけ連立政権の村山富市総理(社会党)が「戦後50周年の終戦記念日にあたって」と題した談話(村山談話)を閣議決定し、発表しました。 日本の戦後史で、加害の責任について最も踏み込んだ総理談話です。
※「戦後50周年の終戦記念日にあたって」1995.08.15 (村山談話 全文)https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/07/dmu_0815.html#:~:text=%E6%95%97%E6%88%A6%E3%81%AE%E6%97%A5%E3%81%8B%E3%82%8950,%E3%81%AA%E3%81%91%E3%82%8C%E3%81%B0%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%9B%E3%82%93%E3%80%82
「(…)いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。(…)」
※村山富市元首相、「村山談話」発表に至った経緯、「終戦」ではなく「敗戦」という言葉を選んだ橋本龍太郎元首相とのエピソードを語る 2015.5.18
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/245969
(…)自らの人生を「めぐり合わせの人生」だと話す村山氏は、総理大臣になろうと思ったことも、考えたこともなかったという。村山氏は、総理大臣就任時の1994年、ASEANの国々と韓国、中国を訪問したことを振り返り、外交におけるそれぞれの国の印象を語った。
「その時に感じたことを申し上げると、韓国はなんと言っても口では言いませんけど、36年間の植民地支配に対する怨念が根っこにあります。余程、日本の方が考えないと、このままじゃ収まらないなという印象でした。
中国に行った時は、ちょうど天安門事件があった直後で、江沢民が国家主席になった時、法律を作って愛国教育をやったのですから、満州事変からずっと戦争の歴史を教えて、中国は酷い目にあったことを今、考えてご覧と。これだけ解放されて良くなったじゃないかと。これはやっぱり共産党の栄光の歴史だというようなことをずっと教えていくわけです。ですから日本への憎しみが倍加してくる。このままでは収まらないなという印象を受けました。
ASEANの国を回りますと、全然、雰囲気が違うんです。むしろ私の顔を見たら『よく来てくれた』と日本に対してみんな敬意を払っている。『日本が敗戦の中から短期間の内に世界第2位の経済大国になって発展してきた。発展したおかげで、援助もいただいて我が国の開発は進んでいる。日本のおかげです。日本に期待している。もっとアジアに腰を据えてちゃんとやってほしい』と言っていた。当時はそうだった。だけど、腹の底では日本の国は戦争の後始末をしていない。戦争の反省もしていない。日本が再び過ちを繰り返さないかという不安な気持ちは持たれてた」
戦争の後始末をきちんとつけないと、不安・不信が残っていくのではないかという印象を受けた村山氏は、内閣としての方針を出す必要性を感じ、談話を出すことを決めました。 談話は、学者を集めて文案を作り、検討を重ねた結果、できたものだということです。「談話が出された後、私の後継内閣は全て、村山談話を継承するということを世界に向かって発言してきています」(…)
《セワヤキ: 「村山談話」についてはドイツでもすぐに報道されました。近所にフィリピンのご家族が住んでいます。にこやかなご主人で、決して自分のほうから日本の戦争責任について言い出したりしない人です。その人が、「村山談話」について私のほうから話を向けると、「待ちに待った謝罪の言葉が聞けて、本当に嬉しかった」と本心を語ってくれました。「やっぱりそうだったのか。穏やかで礼儀正しいアジアの人々はこちらの面子を考えて気を使ってくれているんだ」と目から鱗でした。日本の知人(当時40代後半の男性)の意見は、「日本はもういやというくらい謝罪しており、反対に、アジアを中国(列強諸国)の奴隷から開放してやったのだから礼を言われてもいいくらいだ」というものでした。歴史に無知な私でもこれにはびっくりしました。
以下は、6年前に20代のインドネシア出身の女性から聞いた話です。インドネシアは1602年にオランダの植民地にされてから1942年に日本軍に開放されるまで、340年もその支配下にありました。ちょうど今から6年前に、開放70周年記念の祭典がインドネシア領事館で行われるということを彼女から聞きました。私はうっかりオランダからの開放を祝うのかと勘違いして非常に恥をかきました。勿論、日本からの開放を祝う式典だったのです。日本軍は最初「解放軍」として歓迎されたが、すぐに本性が露呈して、憎悪されていたそうです。学校でもしっかり日本軍の残虐行為など教えていて、彼女はそこでromushaという言葉も習ったそうです。
こんな話も教わったそうです。当時、女学生達が「日本で高等教育を受けられる」という言葉に騙されて希望に燃えて大勢船で出発したが、船中で強姦され、どこかの島に連れて行かれて従軍慰安婦にされた、という実話です。彼女によれば「こんな所にまで進軍してはいなかっただろうというような辺鄙な島にまでも日本軍は行っていて、もし日本人がそこを訪れたりしたら70年後の今でも住民に石を投げつけられるだろう」とのこと。口先で謝罪するだけではアジア諸国の人々に到底信じてもらえません。「まず、当時日本はそこで何をしたのかを知ること」、「次に、何故そんなことをしたのかを考えること」、「そして、同じ間違いをしないためにはどうしたらいいのかをトコトン検証してそれを子孫に伝えていくこと」、それがなければ近隣諸国との心からの和解はありえないと思います。反対にそれができれば「敵国」は「よき隣人」となり、憲法改正も再軍備も不要になります。》