中村哲さんの一周忌に 2020.12.04
♣「武器ではなく 命の水を」医師・中村哲とアフガニスタン
https://www.youtube.com/watch?v=2ryhI3d76sY 2016.09.16 52分
♣中村哲さんの残した「命の水」のその後 「路上のラジオ」の西谷文和さんがアフガニスタンに取材に(30分経過したところからです)
https://www.youtube.com/watch?v=JG47ZdqHDG0 27.11.2020
(前半は「小出裕章さんに聞く~女川原発、本当に再稼働させていいの?」
♣「中村哲という生き方」アフガンで凶弾に倒れた中村医師は何を支えとし、何を残したのか。その生き方に迫る。2020.01.22 https://www.nishinippon.co.jp/theme/nakamuratetsu/(以下、抜粋)
絶滅したニホンオオカミに例えられた中村さんはどう答えたか。
「いやあ、自分は吠えるんじゃなく、かみつくんですよ」
現実に、かみついた場面がある。
米中枢同時テロが起きた2001年。首謀者をかくまっているとして米国がアフガン攻撃に動く中、自衛隊による後方支援を可能にする特別措置法案が国会で審議された。特別委員会に参考人として出席した中村さんは断じた。
「自衛隊派遣は有害無益でございます」
中村さんは折に触れて、アフガン人の親日感情を紹介していた。日本について連想されるのは日露戦争とヒロシマ、ナガサキ。列強に伍(ご)し、原爆の悲劇から戦争をせずに復興を果たした平和国家として、他国が絡む戦乱に苦しんできたアフガン人から圧倒的な親密感を抱かれてきた。自衛隊派遣は、それを礎とした信頼関係を崩しかねない。
「失礼ですけれども、国会議員の先生方以上に現地の庶民の方が冷静に事態を判断しております」「空爆はテロリズムと同じレベルの報復行為ではないかと」
委員会室は騒然となり、やじが飛んだ。自民党議員からは発言を取り消すよう求められた。それでも現場で培った考え方を曲げようとはしなかった。
戦乱に翻弄(ほんろう)されてきたアフガン。旧ソ連軍撤退やタリバン政権崩壊などの後、復興が叫ばれるたびに世界中から国際NGOが集まった。高給を理由にPMSのスタッフが次々と引き抜かれる苦境に陥った際、中村さんはメンバーに励ましの言葉を掛けた。「小さな石は流される。大きな石だけが残るのだ」。中村さんこそが、激流の中を微動だにしない岩だった。
中村さんを襲った昨年12月の凶弾は、運転手のザイヌッラさんの命も奪った。唯一無二の存在、さらに将来のリーダー候補を失った衝撃は大きいが、中村さんの薫陶を受け、汗を流してきた100人規模のスタッフは残っている。
「先生は医師であり、技術者であり、哲学者でもあった」。中村さんが「右腕」と頼りにしていたPMSのジア・ウル・ラフマン医師(64)は、事業の継続を誓う。「日本、アフガン両国には『ナカムラ学校』の生徒たちが多くいます。私たちは先生の哲学とスピリットでつながっているのです」
中村さんが体現した信念は国境や世代を超え、確かに息づいている。(中原興平)