エバ・バートレットの伝えるガザの真実2023年10月7日以前にイスラエルで何が起きていたのかを目撃者が語る。
♣ガザ・シリア・ドンバスの目撃証言がメディアの嘘を暴く (*エバ・バートレット氏にパスカル・ロッタズ 氏が聞きました。)2025.08. 05 1時間26分https://www.youtube.com/watch?v=QpB9j8NxudM&t=72s
【本日は、アメリカとカナダ出身のジャーナリストであり、長年にわたりロシアから戦争や非西側の紛争地、ガザ、北朝鮮、ドンバスなどで取材を続けているエヴァ・バートレットさんとお話しします。】(*以下、日本語で読むの中からガザに関する部分を抜粋。シリアや東ウクライナのドンバスについて、また、「メディアの嘘を暴く」に関しては是非とも全編動画を御覧ください。)
エバ・バートレット氏: 2007年、ついに占領下のパレスチナに行き、ヨルダン経由でヨルダン川西岸地区に入りました。私はそこで8か月間滞在しました。当時、私は活動家であり、他の国際的な仲間たちと共に、イスラエル軍やイスラエル国家、あるいは違法な入植者による残虐行為の影響を最も受けている場所へ行くという考えでした。その結果、私はイスラエル軍による都市や町への侵攻のあとを目の当たりにしました。検問所でパレスチナ人が受ける屈辱的で、品位を傷つけ、人間性を否定するような扱いも見ました。そして、これらの狂信的で、まったく理不尽で、憎しみに満ち、卑劣で違法な入植者たちが、どのようにパレスチナ人を虐待し、彼らの土地を奪っていくのかも目撃しました。私は実際に、ヘブロンの南、アラビア語でハリールと呼ばれる場所にあるススヤという小さな集落で、何ヶ月にもわたって土地が奪われていく様子を目の当たりにしました。
それで、私はもっと多くのことを目の当たりにしました。そして、ちなみに――これは指摘する価値がありますが――私はパレスチナ人が非暴力的に抗議している様子も見ました。なぜなら、反対側は「なぜ暴力を使うのか?なぜ抵抗が存在するのか?」と言うでしょう。その点についても議論できますが、パレスチナ人は何十年も非暴力的に抗議してきたのです。私はビリン村や他の村でそれを見ました。彼らは自分たちの土地の盗難に抗議していました――その村の土地の60%が、アパルトヘイトの壁を建設するために奪われ、パレスチナ人が自分たちの土地から引き離されました。イスラエルはそれ を「安全保障の壁」と呼んでいます。そして私は、イスラエル軍が、まだ何も起きていないときに、武器を持たない抗議者の群衆に高速の催涙ガス弾を発射する様子を見ました。若い抗議者が報復で石を投げる前のことです。
重要なのは、彼ら(イスラエル当局)がこうしたことを実際に行い、パレスチナ人を理由もなく日常的に、毎日のようにヨルダン川西岸で逮捕しているという事実です。これはパレスチナ人が耐えている現実のほんの一端にすぎません。本当にごく一部です。なぜなら、イスラエルの刑務所でのパレスチナ人への拷問が非常に広範囲に及んでいることは、今や私たちも知っているからです。実際、イスラエル兵士が刑務所でパレスチナ人をレイプする権利を得るべきだと、イスラエルの世論が抗議していたほどです。(*なんてこった!)
しかし、私がこれが重要だと感じる理由は、これは2023年10月の出来事が原因ではないと言いたいからです。イスラエルは、現在のジェノサイドが始まるずっと前から、パレスチナ人、特に赤ちゃんや子どもたちを標的にして暗殺してきました。そしてもう一つ重要な点は、イスラエルとエジプトによって2007年に実施された包囲です。イスラエルがパレスチナ人に対して行ってきたすべての政策――残虐行為やパレスチナ人を恐怖に陥れること――は、彼らの生存能力を破壊するという点で、今、私たちが目にしている事態の前段階として非常に重要です。そして多くの人がそのことに気づいていません。
だからこそ、私は先ほど述べた自分の経験、つまり10年…いや、今ではもう15年前のガザでの経験に立ち返るのです。2009年の2度の戦争を記録していただけでなく、私はパレスチナ人の救急医療従事者と一緒に救急車に乗っていました。つまり、彼らが誰を救助しているのかを直接目の当たりにしていたのです。そして私はこうも言えます。私が乗っていたどの救急車でも、いわゆる「テロリスト」とイスラエルが呼ぶ抵抗戦士を搬送していることはありませんでした。イスラエルがパレスチナ人の救急医療従事者を攻撃し、殺害する口実の一つが「救急車がハマスを運んでいる」というものでしたが、私は正直に、それは事実ではないと言えます。私の経験では、彼らが抵抗戦士を搬送しているのを一度も見たことがありません。一方で、私が乗っていた救急車が停戦時間中にイスラエルの狙撃兵の銃撃を受けたこともありました。私がそれを証言できます。実際、私と一緒にいた人がその様子を撮影しました。停戦時間中に、イスラエルの狙撃兵からこの救急車に向けて約14発の銃撃がありました。制服を着て武器を持たず、通りから遺体を運び出していた医療従事者たちに対してです。
しかし、私が言いたかったのはそれだけではありません。先ほども触れましたが、イスラエルが実施してきたこれらすべての政策、包囲だけでなく、包囲の残酷さも軽視すべきではありません。彼らは文字通り、おむつ、食料、肥料、種子、思いつく限りのもの――調理用ガスさえも――持ち込むことを禁じました。パレスチナ人は灯油で調理し始めましたが、イスラエルはその灯油の搬入も阻止しました。生活の基本的なもの――特に医薬 品や医療機器を含めて――イスラエルは持ち込むことを許しませんでした。それで、危機というのは――つまり、病院がガザで危機的状況にあるのは、イスラエルによって爆撃 され、破壊され、侵入され、再び爆撃されたからです。しかし、2023年より前、私が2008年にそこに行ったときでさえ、病院は常に危機的な状態で、重要な医薬品が切実に必要とされていました。それはその時からずっと続いているんです。
でも、私にとって一番美しかったのは人々でした。なぜなら、彼らは本当に驚くべきレジリエンス(*回復力)を 持っていて、どんなに小さなことにも喜びを見出していたからです。今でもX(旧Twitter)でそれを見ることができます。死に囲まれた中で、子どもが喜びを見つけている写真や動画が投稿されているのを目にします。もちろん、死体があるという意味ではありませんが、その子どもは毎日が死と隣り合わせの環境にいるのに、それでも何か小さなことで喜びを見つけたり、大人たちがその子のために喜びを作り出したりするんです。本当にそういう光景を目にします。彼らの生きようとする意志、サバイバルへの意欲は本当に信じられないほどです。西洋の人々で、あれほどの強い意志を持てる人は少ないと思います。西洋の人々の中で、パレスチナ人が長年耐えてきた地獄や恐怖を生き抜ける人はほとんどいないと思います。そして、普通ならパレスチナ人が憎しみに満ちるだろうと予想するでしょう。しかし、私が現地にいたときの経験では、彼らはとても愛情深い人々でした。確かに、アメリカ政府がイスラエルを支援し、武器を供与していることに対しては憎んでいます。でも、彼らは憎んでいなかった…すべての人については言えませんが、私の経験では、私が出会った人々は他人を歓迎していました。彼らは外国人を歓迎し、自分たちの家に招き入れ、わずかな食べ物でも分け与えようとしていました。私はただ、どうしてそんなことができるのかと考えてしまいます。
でも、それは生き抜くための精神や意志についての話です。実際に彼らがどうやって生きているのかは…私には分かりません。なぜなら、彼らはきれいな飲み水を手に入れるのも非常に困難で、もし手に入れられたとしても、食べ物はほとんど存在しません。文字通り飢えています。たしか、1週 間ほど前だったかもしれませんが、どの機関だったかは忘れましたが、警告が出されていました。つまり、これは人為的に作り出された飢饉、意図的な飢餓の段階が進みすぎて、多くの人がもう後戻りできない状態にある、たとえ食べ物が与えられても体がもう限界を超えてしまっている、ということです。本当に恐ろしいことです。そして、思い出してほしいのですが、昨年『ランセット』が報告書を出していて、間接的な死者も考慮すると、その数は20万人近く、たしか18万6千人くらいになるかもしれないと言っていました。