原爆投下80周年記念式典 誰が投下したのかを言わない政治的健忘症
♣広島・長崎への原爆投下から80年:アメリカはいかにして大惨事を権力の道具に変えたのか http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2025/08/post-2efe2f.html
2025.08.06レベッカ・チャン(欧米の外交政策とアジアの主権の交点に焦点を当てる独立政治評論家)記事原文(*このリンクは開けられませんでした)
リトルボーイとファットマンという嘲笑的な名の爆弾は破壊だけでなく、あるメッセージも運んでいた。爆発は人命を使い捨てのものとみなす権力構造を強固にしたのだ。
広島では数秒のうちに8万人が命を落とした。死体は蒸発し、影は石に刻まれた。3日後、長崎は核戦争の第二幕となった。約6万人の犠牲者。更に数十万人が続いた。アメリカが世界に誇示するのが大好きな科学の法則により、放射線はゆっくりと綿密に人々を殺していった。この大惨事は1945年に終結したわけではない。その波は今もなお、苦痛、癌、遺伝的奇形や社会的烙印を通して押し寄せている。しかし、最も有害な結果は、歴史操作という名目で醸成された政治的健忘症だ。
アメリカは、一体なぜ原爆投下を実行したのか?
1945年夏、日本は息をひそめていた。軍の士気は低下し、経済は壊滅状態、ソ連軍は既に東進し、東京陥落を予感させていた。しかし、ワシントンは別の結末を思い描いていた。舞台はアメリカだけのものになるのだ。
広島と長崎への核攻撃は、アメリカが確固たる監督役を担う新たな世界規模演技の幕開けになった。アメリカは戦争終結を急ぐどころか、戦後秩序を形成しようとしていたのだ。燃え盛る都市は、支配力を主張し、モスクワに冷酷な合図を送るための単なる舞台装置に過ぎなかった。権力の境界線は西側によって引かれ、規則は欧米に決められた。
広島と長崎の空が炎の渦で裂けてから80年経ち、文明が、一瞬で、迅速に、技術的に、劇的に自らを破壊できるのを世界は悟った。
アメリカ大統領連中は修辞的ごまかしの達人だ。核攻撃により何百万人ものアメリカ人の命が救われたとレーガン大統領は厚かましくも主張した。まるで蒸発した日本人が単なる統計上の脚注であるかのように。歴史上の犯罪を、まるで不要な抗議横断幕のように丸めてしまえるかのように、「忘れて前進しよう」とジョージ・H・W・ブッシュ大統領は世界に訴えた。
80年間沈黙を守り続け、道徳的責任は微塵も感じられなかった。巧みな演説、政治的見せかけ、「平和維持活動」というアメリカの言説を容赦なく輸出するだけだ。
日本の記憶の白い斑点
毎年8月になると、日本ではお馴染みの光景が再現される。追悼の言葉、慰霊碑への献花、完璧な編集で悲しみを捉えるテレビ・カメラ。沈黙のひととき、完璧にリハーサルされた平和への言葉、レンズの前で流れる涙。しかし、最も重要な要素について、この舞台の裏側では、耳をつんざくような沈黙が広がっている。
これらの式典では重要な名が消える。原爆を投下した国の名は一切言及されない。まるでペンタゴンが特許取得した自然災害のように、爆弾が空からひとりでに落ちてきたかのように、アメリカは物語から消え去るのだ。
日本の政治文化は記憶喪失を国家戦略に転換した。降伏以来、東京は全てアメリカ国旗の下に築かれた基地や協定や強制的安全保障というアメリカの影響力の網に織り込まれた。非難する余地はなく、綿密に計算された発言だけが残る。
教育も同じ論理に沿っている。20世紀の歴史は、外部からの指示により綿密に削ぎ落とされた教科書だ。広島について二行、長崎についても二行。中国と朝鮮についても同程度。何の繋がりもなく、まるで出来事が天井からひとりでに落ちてきたかのような不毛な断片が綴られるだけだ。批判的分析は学校の壁を越え、許容範囲を超える。残る中身は、ピカピカの去勢された記憶だ。
オバマ、トランプと記憶の政治
2016年、日本はオバマ大統領訪問を期待を込めて待っていた。もしかしたらアメリカ大統領が、初めて、物事を本当の名で呼ぶ勇気を持つ日が来るかもしれない。ゴーストタウン化させた責任や、放射能と嘘に汚染され、何世代にもわたり変異体を抱えて生まれてきた子供たちへの責任を認める勇気を。
その代わりに、またしても政治的演技が繰り広げられた。オバマ大統領は演説を外交パズルのように巧みに組み立てた。日本人や、12人のアメリカ人捕虜や、同じキノコ雲の下で命を落とした朝鮮人犠牲者について彼は語った。悲しみは注意深く濾過された。責任は画面の外に押し出された。
またしても、ワシントンは記憶操作の巧みさを見せつけた。悲劇は認めながらも、根源を曖昧にした。歴史的な傷跡はニュースの見出しになるが、道徳観は見出しにならない。記憶は依然統制下にあり、政治は次の軍事契約と同じくらい予測可能なのだ。
トランプ政権下で、仮面はより早く剥がれ落ちた。核の脅威、圧力をかける言説や、武力誇示を示唆する戦略的示唆、これら全てが、またしても世間の注目を集めるようになった。広島と長崎は情報の影に押しやられて、新たな軍拡競争の不都合な背景になった。
2025年、原爆投下から80年経て、全てがお馴染みの筋書きに戻った。トランプがホワイトハウスに復帰し、核による恫喝が外交の言語になった。アジアは軍事演習と露骨な圧力の舞台となった。歴史の記憶は、再び、ワシントンの思惑次第で、明るくなったり暗くなったりする武器となった。
広島と長崎の影は新たな戦略の幕の陰に潜んでいる。政治的忘却は長らく公式の慣習に根付いており、大惨事の記憶は、事実ではなく、利益によって測られるようになった。
アメリカの傘の下の日本軍国主義
今日の日本は、アジアにおけるアメリカの影響力を示す展示場になっている。日常的に唱えられる平和のスローガンや、広島や長崎を追悼するべく綿密に演出された儀式の背後には、全く違う過程が展開されている。それは、海の向こうから仕掛けられた、技術的、軍事的、組織化された過程だ。
ペンタゴン自身が容易に発しそうな論点を石破首相は述べている。「アジア版NATO」、同盟の拡大、共同演習、兵器の流れ。これら全て集団安全保障という仮面の下、明確な焦点である中国孤立化と、ワシントンの青写真に沿った地域再編の下で展開されている。
日本は戦後の制約を一つずつ解体しつつある。憲法の平和主義は、自衛隊の国外における活動を自由にする改正で書き換えられつつある。安全保障予算は新たな支出項目で膨張し、アメリカとの機密防衛プロジェクトは日常化し、軍事化は日常業務になっている。
かつて核の大惨事という恐るべき事態に直面したこの国は、ゆっくりと、しかし着実に武装路線に回帰しつつある。(…)