「地球は青かった!」
(1961年に人類で初めて外から地球をながめたときのガガーリン言葉)
外から見ると
放射能の雲だけでなくて
人の思考を麻痺させるかのような
自由な発言を封じ込めるかのような気配が
立ち込めているかのように見えます。それが
どこから出てきて、どのようにしてひろまったのか
そういうことを考えることが遠回りのようであっても
日本の原発事故問題の一番確実な解決の糸口ではないか
と思うのです。 なぜかと言えば、日本の原発問題は、日本の
国土全体を覆う、人を麻痺させるようなもやの後ろから
自然発生的に出てきた産物ではないかと,そう直感的に
感じるからです。もしそれが当たっているとしたら、
このもやもやの後ろにあるものの正体を見極めさえ
すればいい。そしてそれを取り除けばいい。
日本人には、きっとそれができる。
私にはその確信があります。
チャンス到来です。
2011年3月11日の福島原発事故後、 自分の世の中を見る目がガラッと変わってしまったという人が多いと思います。 私もその1人です。
1977年以来38年ドイツ(当時は「西ドイツ」でしたが)に住んでいます。 たまたま一時帰国で日本にいるときに原発事故が福島で起きました。
すぐにベルリンにいる娘から電話があり、 「メルトダウンしている恐れがあるから、なんとかして早くドイツに帰ってきて!」 と言われました。
ところがNHKでは、メルトダウンについては何も言わず、 「プルトニウムは紙一枚で防げます。」なんて解説していました。
それを聞いた両親や弟は「たいしたことなさそうだ。」と安心した様子でした。 気のいい弟など「福島の野菜や魚を食べて福島の人を応援しよう。」と本気で考えていました。 (自分だけ食べるのなら まだ かまわないけれど、 自分の娘や幼い孫にまでそれを押し付けようとするのにはまいりましたが・・・)
たとえプルトニウムが紙一枚で防げたとしても、 海や川や山や田んぼや畑をどうやって紙で覆うことができるのか? テレビの見すぎで想像力をなくしてしまったのか、 NHKのこの説明を変だと言う人もいませんでした。
この事故が起きてから、日本の大手メディアが信頼できなくなりました。 以後、それまで、メールも書いたことがなかった私でしたが、 必要に迫られて、インターネットで信頼できそうな情報を集めては、 日本にいる家族や友人に知らせるようになりました。
その年の7月に問題の核心になるものがつかめたと感じたので、 それを17ページのメッセージにまとめて何人かの知人に送りました。 (「日本の原発問題を外から見ると・・・」)
しかし、半分以上の人に拒否されました。 「ミザル、イワザル、キカザル」が日本人の本質になってしまっているのでしょうか? 弟には「自分の家族のために全力を尽くしているんだよ。 そういう余計なことは考えたくない。」と言われました。
でも想像してみてください。 たとえ、自分の家族のために居心地のよい船室を確保できたとしても、 船長が戦闘地域にその船を誘導しようとしていたら、 それをなんとか止めさせる努力をしなくてもいいものでしょうか?
そして、事故から4年半たとうとしている今、 息子から「blogを開設する」という誕生日のプレゼントをもらいました。 これからしばらくは彼の助けを借りてとりあえずは始めてみることにしました。 「船の進行方向を少しでも変えられたら」という希望を捨てないで・・・
(2015年8月29日)