基本権の死 言論の自由は後退しており、支配的な勢力によって意図的かつ大規模に制限されている。サラミ戦術を使って、市民に気づかれないうちに…
言論の自由を活用しよう!市民は、もしそうしたければプーチンのプロパガンダを行う法的権利さえ持っているのだ。そのために憲法があり、人権があるのだ。
♣元憲法保護庁長官マースン博士が制裁をズバリ語る ドイツ語で聞く18.01.2026 https://www.youtube.com/watch?v=JcmBeXHEOx0 *以下、日本語で読むの要点
テーマ:「ロシア制裁」が普通の市民の基本権にどんな影響を与えているか。
ゲスト:ドイツで最も著名な法学専門家の一人であり、情報機関の高官として2012年から2018年まで連邦憲法保護庁長官を務めたハンス・ゲオルク・マーセン博士
2000年代初頭には、国家が制裁の対象だった。(例: 「北朝鮮/イラン は制裁されるべきだ」で始まった。制裁を通じて他国の行動を変えさせることがその目的。)次の段階では国家指導部も制裁を受け、その家族も同様に制裁され、さらにその周辺の政治関係者/将軍や閣僚なども制裁の対象となった。そしてここ1、2年の間に、基本的に指導部全体が制裁を受けた後、次はオリガルヒたちに、そして普通の個人にと対象が広げられていった。いわゆるサラミ戦術だ。
あるドイツ人の例では、プーチンと個人的に親しい関係があるという理由で制裁を受けた。信じられないことだが、銀行口座ももう持てなくなり、働くことも許されず、資産を所有することもできず、クレジットカードさえ持てないのだ。
そしてクリスマス直前の「ボー事件」では、元スイス参謀本部の大佐で、軍や軍事情報部門で多大な功績を挙げ、ブリュッセルのNATO本部ではスイス軍の駐在武官を務め、国外ではしばしば独立した中立的な観察者として活動していた人物が制裁リストに載せられた。彼は事前の聴聞もなく制裁を受けた。彼の資産は凍結され、現在の滞在国ベルギーを離れることができない。制裁のせいで、誰も彼にお金を渡すことは許されず、たとえ彼が働いたとしても、雇用主は彼に賃金を支払うことができない。これは重大な人権侵害だ。法的な観点から言えば、このような決定が十分な法的根拠もなく大臣によって下されるというのは信じがたいことだ。裁判所で有罪判決を受けた重罪犯でさえ、このような扱いを受けることはない。
結局、このような制裁で刑法も民法も、つまり司法そのものを完全に迂回することになる。法制度の完全な回避である。何の犯罪も犯しておらず、完全に正しく行動し、表現の自由という権利を行使している人々を、国家が制裁によって「再教育」し、別の行動を取らせることなどは承認できない。まさにそれをEU委員会は望んでいるのだ。そしてそれは、法の枠外の行為だ。これは私たちの基本的権利、そして人権に大きく反している。憲法に反しており、これによって、実質的に私たちの法制度が骨抜きにされてしまっている。
元EU委員会委員長、ジャン=クロード・ユンカーが何年も前に言ったこと。
「まず何かをやって、赤い線を越える。そして他の人たちがどう反応するかを見る。ほとんどの人は気づかない。誰も気づかなければ、もう一歩進む。そしてさらにもう一歩進む。気づいたときには、すでに我々の目的は達成されている。そしてこう言うのだ『何をそんなに騒いでいるんだ?これは昔からずっとこうしてきたことだよ』と。」(*これこそサラミ戦術!)
言論の自由を制限しようとする人々にとっては、「プーチンのプロパガンダを許してはならない」と主張するのは比較的容易であり、そしてこのハードルを越えてしまうと、「言論の自由も制限されるべきだ」「そうした人々は制裁を受けるべきだ」と言うのは比較的容易になる。この手法を利用し、プーチンのプロパガンダを政治的道徳的にタブー視するのだ。それをタブー化することによって、「タブーである以上、制裁が伴うべきだ」と主張し、公の議論の中で権利を骨抜きにするのが容易になるのである。
重要なのは制裁を受けたボー氏や他の人たちがしていることは合法だということ。彼らにはそれを行う権利があるのだ。プーチンのプロパガンダであっても、発信することは許される。それが表現の自由というものだ。そのことで罰を科すことはできない。私たちは依然として、「ロシアと戦争状態にあるわけではない」のであって、ここで非常事態を宣言して言論の自由を制限することもできない。つまり、ここで起きているのは言論の自由への重大な侵害なのだ。
そして最優先されるべきはこの点であって、ここでプロパガンダが行われたかどうか、ボー氏や他の人々の発言が正しいかどうかということはまったく関係ない。重要なのは、彼が自分の言いたいことを言う権利を持っているということなのだ。
また、私達には一市民として「受動的な表現の自由」もある。私達市民は自分が読みたいものを読む権利を持っている。フォンデアライエン氏が市民の読書の消費を規制することは許されない。もし私がRTドイツ(*2022年に禁止)を読みたい、あるいは聞きたいと思うなら、それを行う権利がある。つまり私へのアクセスを制限することは人権に反している。表現の自由とは、単に自分の意見を述べたり書いたりできるということだけではなく、自分が消費したいメディアを通じて、最終的には自分の意見を形成する自由をも意味する。そのメディアは国家によって規制されるべきではない。
ドイツではいつでも裁判所に訴えることはできるが、おそらく裁判所は「これはドイツの国家的措置ではない」と言うだろう。行政裁判所に訴える必要があるが、その場合もおそらく受理されないだろう。なぜなら、欧州司法裁判所が管轄していると指摘されるからだ。それに逆らうには、非常に勇気があり、政治的にも積極的な裁判官でなければならないだろう。また、欧州人権裁判所に訴えることも、国連の裁判所や仲裁機関に訴えることも可能ではあるが、非常に長い期間を要するため、あまり助けにはならないだろう。法曹たちは社会システムの一部であり、普通の人々と同じように、しばしば実際には臆病でもある。
私達が忘れてはならないことは、彼ら(*市民に制裁を課そうとする政治家)は、目的を達成するまで、たとえそれが法の枠を外れていても、常に「赤い線」を越え続け、その線をどんどん引き直していくだろうということだ。つまり、ボー氏の件が最後ではないのだ。次は他の人々にも及ぶだろう。だから私たちはブリュッセルの人々に、「これ以上は許さない」「こうした事例は起きてはならない」という赤い線を示さなければならない。
これを変えるためには、私たちが世論による圧力を築くことが必要だ。これらの不当な制裁決定に対して、社会の中に広範な反対運動が存在することも示されなければならない。最も重要なのは、この問題に対する公共の意識を喚起することである。
歯止めがかからなければ、グリーンランド問題、アメリカ問題、その他のテーマでEUに異を唱えると、それが最終的に制裁の口実にされる可能性がある。そして外交政策は、いざというときには常に内政でもある。もしリオ協定や気候保護協定、京都議定書などに批判的な意見を述べたとすると、「この人物は世界的な人類、世界社会による気候保護の努力を妨げている」として、制裁を受けるべきだという話にもなりかねない。だからこそ、それは今、止めなければならない。
EU加盟国の個人やその他の市民に対する制裁は撤回されるべきである。そこでは法の枠外にある処罰の手段が作り出されており、それは一部の刑事裁判所が言い渡す刑罰よりもはるかに厳しいものになっている。刑務所にいれば少なくとも食事は出るし、家賃を払う必要もないが、ジャック・ボーは、570ユーロを受け取り、その中から弁護士費用を支払い、食事を自分で買わなければならない。厳密に言えば、食べ物を売ることさえ許されない。なぜなら、それも彼に与えられる“給付”であり、制裁の対象だからだ。つまり、これは重い刑罰に等しい制裁手段なのだ。だが、委員会/EUは「これは罰ではなく、教育的措置だ」と主張する。そして見落とされているのは、教育的措置を取る権利があるのは保護者だけであり、人を教育する権利は18歳で終わるということだ。
連邦記者会見で、外務省の報道官が「今後プーチンのプロパガンダを発言する者は注意しなければならない。同様に制裁を受ける可能性がある」と(*脅しを)言っていたが、市民は、もしそうしたければプーチンのプロパガンダを行う法的権利を持っている。そういうときのために憲法があり、人権があるのだ。同じようにウクライナのプロパガンダをしてもいいし、アメリカのプロパガンダをしてもいい。それもまた表現の自由の範疇なんだ。高官であるはずの外務省の報道官が、まるで誰かに「プロパガンダ」や意見表明を禁じることがまったく普通であるかのように振る舞うというのは、本当に衝撃的だ。法務省と内務省があるのは、基本権や憲法の遵守をそこが担当しているからだ。誰かがとっくに「外務省の同僚たちは完全に道を踏み外している」と言うべきだった。
憲法擁護庁は、現在、別の法的問題を抱えている。この機関もまた本来の道を外れてしまった。いまや、いわゆる政府の「正統性を否定する者」や「政府を侮辱する者」とされる人々を取り締まるために悪用されている。ドイツでこのようなことが起こるなど、本来まったく考えられないことだ。
実は、こうした状況は一つの構図に当てはまる。つまり、一方では、ウクライナ戦争やガザ問題、アフリカ政策など(*外交問題)に関して異なる政治的意見を持つ人々が、EU委員会や外相理事会によって制裁を受けている。そして他方では、ドイツ国内で政府を批判したり、政治家をからかう冗談を言ったりした人々が監視されている。ドイツでは、例えば政府批判的な内容をツイートしたり、Xに投稿したりしたからだというだけで、朝6時に警察の部隊が家宅捜索に入るなどということが実際に起きている。これらは一つの構図を示している。言論の自由は後退しており、支配的な勢力によって意図的かつ大規模に制限されているということだ。
基本的権利や人権とは、本来、国家の過剰な干渉から市民を守るための防御的権利である。ところがドイツでは、近年、連邦憲法裁判所の気候保護に関する判例によって、新たな構成が採られるようになった。つまり、気候そのものが保護されるべき「上位の基本権」を持つかのように扱われているのだ。その結果、基本権や人権は、気候保護の枠組みの中で市民に「割り当てられる」ものとなってしまった。こうして、私たちの憲法は本来の姿から逆立ちさせられてしまったのだ。なぜなら、基本権とは本来、「人間から気候を守るため」のものではないからだ。むしろ基本的権利は、歴史的に国家社会主義に結びついてきたように、過剰に介入する国家や過剰に介入する裁判官から市民を守るために存在しているのだ。